声明:私たちは大麻使用罪の創設に反対します!

【記者会見の内容】

2021年6月2日/厚生労働記者会

■登壇者

風間 暁(薬物依存症当事者・最年少の保護司・ASK社会対策部薬物担当)
TY(関西薬物依存症家族の会)オンライン
丸山泰弘(立正大学法学部教授)
生島 嗣(ぷれいす東京代表・社会福祉士)
斎藤 環(筑波大学医学医療系社会精神保健学教授・精神科医)オンライン
司会:田中紀子(ARTS代表、ギャンブル依存症問題を考える会代表)

■これまでの経緯

【田中】今日、私たちは大麻使用罪創設の反対する声明を発表させて頂きたいと思います。
まずこれまでの経緯を、私の方から簡単にご説明させて頂きます。
5月14日に厚生労働省の第6回大麻等の薬物対策のあり方検討会のあと、あたかも大麻使用罪創設が検討会で合意に至り、厚生労働省が使用罪の創設を決めたかのような報道が相次ぎました。
5月24日、依存症関連問題13団体が、厚生労働省医薬・生活衛生局監視指導部・麻薬対策課の田中課長に公開質問状を提出し、大麻使用罪創設に関する報道について経過説明を求めました。その場で課長から、報道内容は事務局が出したものではなく、報道機関による独自の解釈であるとの回答がありました。
一方、自民党にも「再犯防止推進特別委員会・大麻事犯等撲滅プロジェクトチーム」が作られていることを知り、大麻使用の増加すなわち大麻使用罪創設という既定路線が敷かれていることに危機感を覚え、依存症当事者家族と支援の現場から「薬物使用者にこれ以上のスティグマ、社会的排除、人権侵害はいらない」との声を上げる決意をいたしました。
14関連団体で「大麻使用罪創設に反対する依存症関連団体・支援者ネットワーク」を結成。短期間に、法学等の研究者をはじめ、医療・相談・福祉・司法・矯正などあらゆる支援現場の第一線にいる141名が声明に名を連ねました。この声明文は、この後、厚生労働省および自民党にも届けます。
それでは、各立場からひと言ずつこの問題について意見を述べたいと思います。

■当事者の立場から

法による厳しい取締りではなく、ソーシャルワークで取り扱ってほしい

【田中】まずは、薬物依存症の当事者で現在最年少の保護司でもあり、ASK社会対策部・薬物担当の風間暁さんから当事者としての意見をお願い致します。

【風間】みなさま、本日はお集まりいただきありがとうございます。

私は薬物依存症の当事者であり、現在NPO法人ASKの社会対策部・薬物担当をしております、風間暁と申します。

私は幼少期に日常的な虐待を受けて育ちました。小学校の頃には親の引き起こした事故に巻き込まれ、加害者家族として地獄のような日々を過ごして育っております。誰にも助けてもらえないまま逃げた先で、生まれて初めて私という存在を受け入れてくれたのが非行グループです。そこで薬物を覚えましたが、当時の私にとっては唯一の心の落ち着ける場所でした。

しかし、私たちは不良としてよくない存在というレッテルを貼られ、結果的にますます追い詰められていきました。そういった孤立やそれまでの逆境体験による苦痛などを和らげ、毎日をなんとか生き抜くために薬物を使い続けていると、今度は脳の病気、いわゆる依存症になってしまうのです。そうなってしまうと自分の意志で止めることがかなわず、適切な治療に繋がる必要が生じます。しかし、医者に行けば通報されかねません。それに捕まってしまえば、未成年である以上、親も介入してくることは明白です。

それが私の場合、すごく大きくて、トラウマにもなっている親の罵声や表情、あれをまた経験しなければならないかと思うと足がすくみました。怖くて、怖くて、もっともっと薬物を使いたいというふうになっていきました。薬物を使ったことを周囲の大人たちから強く非難され、その状況からも逃げるようにして、かえって薬物へとのめりこんでいきました。ほんとうは薬物を使わずに生きていくことが可能な環境にして欲しかったです。

幼少期からずっと続いてきた恐怖、そういったものから逃れて安心したかったし、どうしようもなくて薬物に逃げるしか生きる方法がなかった。そんな私を助けてほしかったです。結果的に私は大麻とは別の薬物を過剰摂取して、死にかけると同時に医療に繋がりました。そこからは劇的な変化があって、福祉と医療に助けてもらって、同じように回復を目指す仲間と手を取り合ったことで、「ずっとつらかったね、一緒に回復していこうね」と声をかけてもらい、それにどれほど救われたか。それは初めての経験でした。

それまでの人生約20年間ずっと一人で我慢してきた分、しっかりその時に返って、自分がつらかったということを感じきることがようやくできました。

ただ、私のように手厚い支援を受けることができた幸運な当事者でも、薬物を使わない日々を過ごしていくのは、ほんとうに困難なことです。脳の病気ですから、そこから回復しようとして生きていくのだから、大変なのは当然です。

もしあの生まれ変わるような変化の渦中に厳しい罰を受けていたらと考えると、私は生きることを諦めていたかもしれません。あの時から今日まで支え続けてくれている福祉、医療従事者の方々、そして仲間たちのおかげで、私は今10年間薬物を使わずに今日も生きていることができています。少なくとも私の場合は、今捕まるのが嫌で使っていないわけではなく、大切にしてもらうことの喜びを知ったから、そういうふうに自分のことを大切にしてくれる人と一緒に健康にこれからも生きていきたいなと、そういう思いで使わない選択をしています。

福祉や医療現場の支援体制が充実したとしても、先に述べたような恐れや不安が背景にある以上は、薬物を使っている方々が能動的に援助希求をすることは難しいです。当事者が回復したいと思った時に門を叩きやすい、門を叩けるような、仲間たちと一緒に回復に向けた日々を送っていけるような、そういったスティグマのない社会、依存症者には回復に専念できる居場所が必要とされていますが、犯罪者というレッテルがそれを邪魔するのです。地域社会に健康な居場所を見つけることができなくなれば、やはり受け入れてくれる場所は、おのずと不健康な領域に限られてくる。再使用のリスクが跳ね上がると思うのです。

そういった現実が今ある以上、ここから新たに厳罰化していくような動きは、予防として効果的であるとは言えないというように考えています。それが、私が法による厳しい取締りではなく、ソーシャルワークで薬物問題を取り扱っていくべきだと考える理由、そして大麻使用罪創設に反対する理由です。私からは以上です。 ご清聴いただきありがとうございました。

■家族の立場から

もうこれ以上烙印を押され、犠牲者を出したくない

【田中】続きまして、薬物問題を抱える当事者を持つ家族の方から、ひと言意見を述べていただきたいと思います。関西薬物依存症家族の会、TYさんお願い致します。

【TY】本日はコロナ禍の中、またご多忙の中お集まりいただきましてありがとうございます。

私の息子が薬物依存症者なのですが、10数年前に脱法ハーブという薬物にはまり、生活が乱れ始めました。その後ほどなく20歳でⅠ型の糖尿病を発症し、日々インシュリン注射を打つというストレスからだと思うのですが、さらに生活が荒れていきました。私は当然親の責任として、私の力で彼の薬をやめさせようと躍起になりました。

息子を犯罪者扱いし、監視する日々が続きました。薬をやめようとしない息子を蔑み、恨み、憎しみ、罵声を浴びせ続ける日々でした。初めはこのままでは糖尿病の息子は死んでしまうのではないかとすごく心配していたのですが、疲れ果て途中からは死ねばいいのにと願い、最後には一緒に死のう、俺が殺したる、とすごく大切だったはずの息子の命の価値がなくなっていきました。

人間やめますか、ダメ。ゼッタイ。というスティグマが植え付けられていたのだと思うのですが、そんな苦しい日々が続いたのにもかかわらず、救いを求めることができませんでした。

なぜなら、他人に息子が薬物依存症だと知られてはいけないと頑なに思っていました。

しかし、薬物依存という問題は、私自身の力で解決できるような簡単な代物ではありませんでした。ボロボロになりながらも私はどうにか自助グループに繋がり、そこで薬物依存症は脳の疾患だと知り、ものすごく救われた記憶があります。そして息子も支援に繋がったことで今は独立し、ひとりで生活を始めてすでに7年の月日が過ぎ去りました。

薬物依存症の背景には、さまざまな生きづらさがあります。仲間の子供の中にも発達障害や統合失調症があり、その生きづらさから薬物依存症に罹患してしまったケースも多々見られます。だからこそ、治療や支援が必要だと心底感じています。

今年に入り、立て続けに仲間の子供さんが自死しています。中には「私には生きていく価値や資格がないんだ」と書き残している人もいました。

もうこれ以上烙印を押され、犠牲者を出したくない、という思いで今私はここにいます。以上です。ありがとうございました。

【田中】私から少し補足いたします。

こういった薬物問題のスティグマが強化され刑罰、厳罰主義に走っていった背景には、当事者や家族の方が声をあげられなかった、声をあげてしまうとご家族の方が会社をクビになったり、取引先から取引を停止されたりするということが実際起きていることも大きいと思います。回復できるのだというメッセージが伝わりやすい社会になって欲しいと願います。 ここまでが、当事者・家族のご意見です。この後は専門家の方にお話し頂きます。

■法学者の立場から

大麻使用罪は、世界の薬物政策に、完全に逆行している

【田中】司法の立場から丸山康弘先生、立正大学の法学部の教授でいらっしゃいます。丸山先生はヨーロッパの薬物政策などに非常に精通しておられるので、世界の流れなどについてお話していただければと思います。

【丸山】みなさん、こんにちは。丸山と申します。

立正大学というところで犯罪学刑事政策を担当しています。よろしくお願いします。

こういった場は初めてですので、不慣れな点があったら教えていただければと思います。

私が言いたいことはお手元の資料に、私が今朝まとめたものをお配りしていますので、わかりにくい点があればこちらを読んでいただければと思います。

私は20年くらい薬物の末端使用者に対する政策のあり方ということを研究してまいりました。当初はアメリカを中心に始まっていたドラッグコート政策というものを研究していまして、現に2018年から20年までバークレーに行きまして、その中で約2年間現地のオークランドにあるドラッグコートにオブザーバーですけれども通い続けて、スタッフと一緒に活動するということもやってきました。それと同時にずっとドラッグコート政策を研究してきたのですが、それもかなり治療的で福祉的な介入なのですが、どうしてもそういう表面上繕っても刑事罰で何とかさせようとしている問題が常に残っていまして、これをなんとかできないかなと思っていた時に、知ったのがポルトガルの薬物政策でした。ポルトガルが2001年からほぼすべての薬物に対して非刑罰化しています。

ポルトガルに直接行きまして、2014年と2015年に調査をしています。薬物に対して刑事罰に頼らない方法というのはどういうものがあるかということを実践されていますので、それを調査してきたわけです。

大きな話をさせていただきますと、薬物政策というのは全く不寛容、あっちゃダメだし、製造も密輸も全部ダメし、依存症者もダメ、完全にダメ、刑事罰でコントロールするという「ゼロ・トレランス」というのが一つあります。もう一つは「ハームリダクション」と言って、ダメなのはわかるけれど現実社会に薬はあるので、それによって生じる害悪をどうやって減らすかという方法で、ヨーロッパ中心にとっています。

ハームリダクションのお話をさせていただきたいのですが、さっきからお話しいただいているように、犯罪であるということですべてが思考停止してしまう。相談ができなくなるわけです。となると体に害悪なものだとしてもなかなか相談もできないし、医療機関にもかかれないし、そのハードルがめちゃくちゃ上がってくるわけです。そうすると家族も相談できなくなるし、支援者にも相談できなくなる。

ヨーロッパが舵を切ったのには、他にもたくさん理由がありまして、薬局とか一般のお店で買えないから、結局はマフィアとか組織犯罪が儲けるためのお金に流れていく。さらにそれを取締まるための捜査機関にお金がかかってしまう。医療もさっき申し上げました通り、とんでもなく健康が害されてからじゃないと医療にかかれない。誰にも相談できない状態でいろんな害悪がある。

同時にヨーロッパ、外国では針を使い回したりしますのでHIVに罹患していったり、肝炎が蔓延したりする問題があるので、それだったらそういう害悪を少しでも止めるというふうな政策をとるべきだ、というのがハームリダクションです。

よくこういう話をしますと、「非犯罪化とか非刑罰化とすると、世の中が薬物使用者であふれてしまうのではないか」と思われるかと思うのですが、それは起きていません。海外で取り組んでいますが、問題使用の増加は起きていないのです。

現にみなさんも、別にアルコール度数が高いお酒を飲むのは自由ですけれど、80度とか90度のお酒は飲まれていない。完全にアンダーコントロールの中で行われているし、そういった運用をなさっている。

もう一つ、日本では「ダメ。ゼッタイ。」だからうまくいっているのではないかといわれるのですが、そもそも非犯罪化、非刑罰化をとる国も、初期使用は抑えて、問題使用はない方がいいと考えています。結局は、非犯罪化、非刑罰化をしている国は、街が混乱化して自由に使いたきゃどうぞと言っているわけではない。問題使用は減った方がいいと考えている。そうすると厳罰化をしている国もそうでない国も、その先にあるのは問題使用で困っている人は減らしたいと考えているけれど、それを効果的に減らすために刑罰ではない選択をとったということです。教育などを使って問題使用を減らすということを実践していまして、実際に減らしています。

刑罰だと生じる害悪があまりにも多すぎて人権問題にかかわるということが、国連とかWHOから発言されていますので、今なぜ使用罪を作ろうとしているのか? これは本当に世界に逆行していまして、たとえば検挙人員や逮捕が増えていますよと発表すればするほど、世界に対しては「今さらマリファナとか薬物問題に罰則を置いて人権侵害をする国です」とむしろ発表してしまうことになってしまうのではないかと、完全に逆行しているように感じています。以上です。

■HIV陽性者支援の立場から

一度犯罪者になると、復職や社会参加が疎外される

【田中】続いては当事者支援を長年されている、特定非営利活動法人ぷれいす東京代表の生島嗣さんお願いします。

【生島】はい、生島と申します。よろしくお願いします。私はHIV陽性者の支援という現場におります。
僕が会ってる人の多くは、ゲイ、バイセクシャルの男性とトランジェンダーが多いんですけど、ただ僕が見ている事象というのは他の集団にも共通することが隠されているかなと思っています。
私は対面相談で、多くの薬物で逮捕された方々の相談とか回復の支援をしているんですけれども、常日頃思っていることをお話しさせていただきたいと思います。

犯罪化されることでのデメリットとして、一度犯罪者になってしまうと復職して社会参加が非常に疎外される。多くの企業の就業規則の中に懲戒解雇の対象として犯罪者と書かれているので、再就職がすごく難しくなってしまうというのが一つあります。それから犯罪となると、実名報道とか組織自体も職員に対する処分の発表とかをするので、それが流れてしまうと、過去5年以上経ってもその履歴がネット上から消せない人が沢山います。その過去に追いかけられて、その人は自分の未来に希望を持てないんですね。だから犯罪化というのは、その人の回復の阻害でしかないということを懸念します。

犯罪になることで、精神科医療でも公的機関の事務方とかが、「犯罪者を通報しなければいけないのではないか」という動きをして、診療自体も非常に難しくさせてしまう側面もあるかと思っています。
犯罪化されてしまうことで、色々なスティグマが強化されてしまうことをすごく心配しています。今日お手元に資料を配らせていただいているんですけども、(資料2)

私、厚生労働科学研究の中で色んな調査をしています。薬物使用に関わる色々な関連要因を探っているんですが、2枚目の下「どういう場面で薬物使用が始まるか?」を見てみると、「自ら望んで」は2割、「相手に誘われた」が7割。対人関係のコミュニケーションの中で始まっているというのが一つですね。

先ほど個人の経験を話していただいた「逆境経験」についてですが、最後の2枚をご覧ください。約7千人のアプリを使っている一般のゲイ男性を対象にした調査です。過去のつらい経験として、ここに8つぐらい上がっているんですけど、いじめられた経験とか、家族内に依存症者がいるとか、様々な8つぐらいの経験ですね。こういう逆境経験といわれるものが0の人と4つ以上の人で比較すると、例えばHIVに罹患する経験というのが、数量的に解析しますと1.8倍ぐらい違います。薬物使用については2.24倍ぐらい違うんですね。

その人が生まれ育った環境とか、生活とか、その人自身がどうしようもないことが、薬物使用等に関連しているんです。これを犯罪にしていいのか?
これはやはり社会とか地域でもっとケアしてですね、その人を温かく包み込んでいくことが適切ではないかなという、私の現場からの経験をお話しさせていただきました。

■精神科医の立場から

スティグマ化を強めることは、治療の視点から見て非常に問題

【田中】それでは最後に、医療の立場から筑波大学医学医療系社会精神保健学教授であります、斎藤環先生にお願いしたいと思います。斎藤環先生、よろしくお願いします。

【斎藤】皆さんこんにちは。本日はコロナ禍の中お集まりいただきまして、ありがとうございます。
私は精神科医で元々引きこもり専門なんですけれども、今私が所属しております筑波大学の社会精神保健学教室は、もともと依存症の研究を盛んにしています。大学では珍しいんですけれども、薬物の依存であるとかアルコールの依存であるとか、あと虐待の研究をしているところでもありまして、私もそういう研究に関わっている関係で、この場に呼んでいただいた経緯があります。

依存症に関して、私の知るところをいくつか申し上げておきたいと思いますけれども、今日は風間さん、TYさんの当事者の方からの視点と、それから丸山さんの法律の視点と、生島さんのように支援者の視点という立場から、刑罰化犯罪化の弊害について立体的に指摘があったので、私の視点から全体的なことをちょっと申し上げておきたいと思います。

そもそも一番大きな誤解は、麻薬の依存症は麻薬が気持ち良いから起こってくると、快楽だから起こってくるという発想がまだまだ根強いように思いますが、これは間違いであるということが証明済みであるんですよね。
有名な実験で「ラットパークの実験」があります。これは過酷な環境に置かれたネズミと、仲間と一緒に楽園のような環境にいるネズミとで、どちらが依存症になるか?という実験なんですけれども、過酷な環境にいたネズミは麻薬の入った水を飲み続け、楽園環境にいたネズミは一切興味を示さなかったという有名な対照実験があります。このことからわかりますように依存症のメカニズムとしては、どちらかというと自己治療、つまり苦痛を逃れるために薬を使う、そしてやめられなくなってしまうということが知られているわけです。

ですから回復を考える立場からしますと、どうすれば苦痛な環境に置かないようにするか、その人の幸福度を高めるか、ということがカギになっているわけなんです。

日本の「ダメ。ゼッタイ。」に代表される現場政策がなぜこれほど強固かと言いますと、もともとはアメリカなんですね。1930年代にアメリカの麻薬取締局の初代長官のハリー・J・アンスリンガーという人がいるんですけれども、この人は麻薬の歴史では必ず名前が出てくる悪名高い人です。この方と当時の新聞王のハーストっていう人が2人ともかなりの程度の人種差別主義者。アンスリンガーに関しては黒人差別、ハーストについてはメキシコ人差別ですね、この意図を込めた形で麻薬追放のキャンペーンを大きく張ったと。これがアメリカにおける政策の大部分を決定してしまって、これが非常に大きな影響をもたらした。

日本も、戦後その大麻取締の法律ができるんですけれども、当時日本では大麻に関する弊害が起きていなかったにも関わらず、アメリカの影響をもろに受けてそういう法律を作ってしまったという経緯がある。となると現在アメリカでは大麻は大幅に認められてきているし、嗜好品としての大麻も一部の州で認められて合法化されているという、現状の影響を本当は受けて欲しいというところなんですけれども、なんか日本はそこだけ自立しちゃってですね、今やアメリカの動きに反してまで厳罰化の方向に走ろうとしているという、大変危険な兆候であると私は考えております。

なぜ危険かと申しますと、先ほど申し上げたように依存症のメカニズムが自己治療であるということを、もう1回思い出していただきたいと思います。要するに、厳罰化によって社会から排除される、孤立化させられるということで、援助希求行動が取れなくなる。この指摘も当事者の方からもあったと思いますけれども、助けを求められないし、社会的に孤立させられるし、仕事に就けないし、支援も受けられない、という状況に置かれますと、そういった苦痛を紛らわすために、ますます依存症にはまり込んでしまう悪循環が起こるんですよね。

これは麻薬に限らずいろいろな領域で起こります。私の専門にしている引きこもりでも、引きこもることに対するスティグマが強ければ強いほど、当事者はセルフスティグマ、つまり自己批判をするわけです。それによって、ますます引きこもってしまうという悪循環が起こりやすい。全く同じ形式の悪循環が依存症でも起こることが知られているわけです。

だからそういった悪循環を防ぐためには、排除をしない、より包摂的な方策で支援し治療をする。依存症は病気ですからね。その意味では治療をして、さらに支援をするという判断のほうがはるかに機能的と私は考えます。私は、治療的な方向に社会が動いて欲しいということを今日申し上げたかったので、そういった点から見ても犯罪化という方向は明らかに逆行している。むしろ麻薬を使用した人がたった1回の使用で偏見にさらされたり、差別されたり、その人が作ったものまで否定されたりとか、そういうひどい状況に落ち込んでしまって、どちらかというと薬物使用の方に背中を押されてしまうという傾向を非常に大きく懸念しているということです。

ですから、このタイミングで大麻の使用罪を作ることによってスティグマ化を強めるようなことは、治療の視点から見ても非常に問題があるということを、私から申し上げておきたいと思います。私からは以上です。

■記者との質疑応答

Q.使用罪がないことが、使うことのハードルを下げた?

【田中】以上、私たちからの意見はここまでにし、記者の皆様とのご質疑に移らせていただきたと思います。ご質問のある記者の方いらっしゃいましたらどうぞ。

【記者】検討会で使用罪の創設の理由としてよく言われるのが、「若い人が増えていて、使用罪がないことでハードルが下がっている」という説です。その根拠として、単純所持をした人のアンケートの結果で、2割ぐらいが「使用罪がないことが、使うことのハードルを下げた」というデータが示されています。この抑止力になるという言い方とか、あと使用罪がないことで使ってもいいものだと誤解するという考え方について、どのようなご意見を持たれていますか。

【丸山】ストレートなお答えになってるかどうか分かりませんが、そもそも合法化したり非刑罰化したりしている国は、人の行動パターンを変えるのに刑罰が必ずしも正解ではないという方法をとっていて、それが教育であるとしています。

教育で何が変わるのか、僕も最初は疑ってました。そんなもので使用が止まるのか? というふうに疑っていました。でも例えば僕が小さい頃、妊婦さんとか授乳中の子どもがいるお母さんが、アルコール飲んだりタバコを吸ったりするのを町の中でまあまあ見ることがありました。今でもいらっしゃるでしょうが激減してますね。それは授乳中の子育て世代のお母さんがお酒を飲んだら犯罪としたのではなく、それは徹底的に価値観を変えるような教育を進めた結果、問題使用を減らすということに繋がっていったということかと思います。そもそも刑罰がイコール問題使用を減らせるわけではなく、必ずしも刑罰に頼る必要は全くない。

検討委員会で出ている「使用罪がないから使用した」というのは、それこそ世界中がそのような非刑罰化などの動向を取っていることをもう若い方が知り始めている、それほど害悪ではないということを理解していると思うので、そうなると必要なのは刑罰で害悪を増やしていくというよりも、ちゃんとした教育を進める。刑罰を使った時に生じる害悪が大きすぎることを考えれば、教育でコントロールする方がよほどいい。刑罰以外で減らす方法があるのだから非犯罪化すべきでないか、というのが私の個人的な見解です。

【司会】当事者の方、何かご意見を。

【風間】どこまで言っていいのかわからないですが、犯罪であろうが使う者は使いますし、抑止力になってなかった証明が私です。以上です。

Q.犯罪でなくなったら、介入できなくなるのでは?

【記者】2つ質問があります。スティグマがあって回復の妨げになるのはわかりましたが、自ら支援に繋がるというのはなかなか難しいというところで、犯罪でなくなって強制的に介入する力がなくなることで、本当に皆さん自ら抜け出して来てくれるんだろうか?これについてお願いします。

【田中】TYさんの息子さんも一度も逮捕されたことがなく回復に繋がることができたので、どういうことが回復に繋がることになるのか? というところをTYさんお話いただけないでしょうか。

【TY】私が息子を見ていて一番感じたのは、息子の気持ちに立った同じ経験をしてる人たちの言葉が、すごく息子の心に染み渡っていって、「ああ、もう僕は1人ちゃうんや、一緒に生きていってくれる、声かけてくれる仲間がいてるんや」っていう感じで、一気にそちらのほうに流れていきました。

「自分は生きてていいんや、俺は今まで悪いことばっかりしてたけど、許してくれる人がおるんや」という、その一点がすごく僕の中ではよく見えた感じがました。

私たちも「親がもうあなたを助けることはできません。あなたを助けていただけるのは同じ経験をした仲間しかいません、そっち側の方と一緒に生きていってください」ということをはっきりと言ったんですね。
そこが彼にとっても私にとっても、大きなターニングポイントになったのかなと振り返って思っています。

【丸山】2016年の国連のドラッグレポートで指摘されたのは、薬物使用しているうちの11%ぐらいが、問題使用というか依存状態であって、9割はそもそも依存のような使用ではないんですね。という中で、10%のために厳罰で全体をコントロールしようとする政策自体に、まず問題があるというのが大前提なんですけど。その次に、ここでさっきのご家族の方とか本人さんも話されてるんですが、(非犯罪化すると)相談に行くハードルがめちゃくちゃ下がります。多分皆さんのものすごく仲いい家族とか友だちが、「頭が痛いとかお腹が痛い」と言った時に「病院に行こうか」という声がけはすると思いますが、「いや今日覚せい剤使ってて」と言うと多分ひくと思うんです。それは薬物使用が違法な状態だから思考が停止してしまうのであって、使用イコール犯罪だ、通報先は警察、捜査機関という回路しかなくなってしまう。

非犯罪化することよって、本人がすぐ相談に繋がらないとしても、周りのサポートはもう少し充実しますし、そもそも相談に行ける場面が増えてくる。さらに数字としても、問題使用者が減っているということに繋がっているのが海外の実践かと思います。

【田中】教育が大切ということで、日本の場合は教育が「ダメ。ゼッタイ。」という教育になってしまっているので、相談に行きようがないんですね。そうではなくて、先ほどTYさんもおっしゃったように、ご家族にも正しい知識があれば相談先もわかるし、ここだったら通報されないとか、どんな対応したらいいか、とかそういう教育が非常に大事ではないかと思っています。

こういった問題に対して、ご家族や周りの人に正しい知識があることが非常に重要だということを、私自身も支援の現場にいて感じています。斉藤先生、その辺りの「家族教育の重要性」について、何か一言お願いできますか?

【斎藤】依存症の臨床においては、家族会の機能は非常に大きいんです。当事者を支えるご家族の認識が違っていると、家族内でも非難されたり、否定的な発言をされてしまったりとかして、これがまた依存症を助長する可能性があるわけですから、そういった意味ではご家族にも正しい認識を持ってもらうことが非常に大切だと思っております。

それからもう一点、刑罰化する方が援助機関を受診しにくくなると思っています。精神科医も依存症に詳しいわけではないので、かなり多くの精神科医は依存症、特に違法薬物の依存症者が来ると通報しちゃう可能性があると思うんですよね、これはまずい。

警察に対する通報義務はないんですけれども、あると誤解している人が非常に多くて、その誤解が広まっていることによって、治療に行ったために通報されてしまうということ、これ実際に起こっていますので、援助希求を促すという意味で犯罪化をしない方がいいと私は考えています。

Q.大麻だけでなく、薬物政策全体について非犯罪化を求めているのか?

【記者】皆さまのお話を聴いていると、大麻についてだから言うというよりも、薬物政策全体について非犯罪化するというような文脈から言っておられるという理解でよろしいですか?

【田中】はい、そうです。薬物問題自体を非犯罪化の方へ向けていってほしい、だからこそ、大麻の使用罪を作るような、さらに厳罰化の方向に進むことを止めてほしい、そういう趣旨です。

Q.どんな予防教育が求められているのか?

【記者】さっきから教育の話が出ていました。非犯罪化してくれっていうことと、教育が大事だということ。日本でも依存症の予防教室とか推進事業を文科省がやっていたり、厚労省もそれっぽいことをやっていると思うんですけど、それがあまりうまくいってない。注目されてないからこういう話になってくるのではないかと。どんな点を、その依存症の予防教育の分野で改めていったらいいのか、海外の先ほどのポルトガルの事例なども含めて教えていただきたい。

【田中】今、学校の依存症の予防教育、薬物の乱用予防教教室に行かせていただくと、まず教えていることが嘘なんですね。「1回でもやったら、めくるめく快感が来て」とか「1回でもやるとみんな依存症になってしまって、幻覚とか幻聴が見えるようになって」みたいなことをすごく極端に教えるんですね。

ところが1回目、手を出してしまった人たちはそうならない、拍子抜けの体験があるわけです。幻覚も幻聴も起きない。そうなってくると「あれ?ひどいことにならない自分は大丈夫なんじゃないか、コントロールできるんじゃないか?」というような誤解に陥っていき、手を出し続けてしまう。「脅し」でなんとかやめさせよう、というのが今日本で行なわれている教育です。

これからどんな教育をしていったらいいのかということで考えているのは、やはりダメって言われてもやってしまうということは、「早く自分の人生が終わってしまえばいい」と思っている人たちがいる。依存症というのは「緩慢なる自殺」と別名言われていますが、自分の人生なんか大事にできないという人たちが、ダメっていわれてるものに手を出してしまうわけですから、自分が抱えている辛いことを人に伝えて相談できるような、「自分が恥だと思って隠したいと思ってるようなことを言っていいんだよ」「信頼できる人に相談していいんだよ」というようなことを教育していくことが必要だと思います。

さらには同調圧力、私なんかはヤンキー世代だったので「シンナー一緒にできないんて、ヤキがまわってんな」みたいな時代でしたけど、そんな同調圧力に対する断り方を教える、そういったことが重要なのであって、「ダメ。ゼッタイ。」と言って、薬物使用者をモンスターやお化けみたいに見せて「脅す」という教育の在り方に問題があると、私は思っています。

【丸山】今、答えがでていたような気がするんですが。さっきも言ったとおり、海外の例えば非犯罪化や非厳罰化してるところも、初期使用というか問題使用が増えていいとは思ってないわけです。ではどういう教育をしていくかというと、僕が知る限り、セーフティーファーストという教育をする。そういう場面に出くわしたら、田中さんがおっしゃったように自分はどうやって回避するのか、友だちが使っている場面でどういうふうな回避をするのか、どうやって友だちの命を助けるのかということをしっかりと教えます。

例えば、たしかオーストラリアの公共のCMで、若者達がクラブとかで踊っていてドラッグ使ってるんですけど、1人が泡吹いて倒れちゃうんです。倒れたから「救急車呼ぼうぜ」ってなるんですけど、「でも俺たち、今ドラッグ使ってるから救急車を呼んだら捕まるじゃないか」って議論が開始されるんですよ。でもそのCMは「まず命を助けましょう」「命を優先させて、このような場合にはあなたたちを罪に問うことをしません」ということを、ちゃんと公共放送CMで流している。

何が大事か、その人を罰して社会から排除することを第一目的にしているのではなく、使った人の命を助けるために、私たちはどうするかということを徹底して教える。そういった教育を繰り返して、例え使ったとしても対応できるようにする。「人間やめますか」とか言われちゃうと、じゃ使った自分は人間じゃないのか、もしくは人間にはなりたくない人が使っていく方向に行っちゃう。そうではなくて、まずは使わないことが前提なんだけど、使ってしまったらじゃあどうするか、次は避けるようにするとか、友だちが使ったらどうしよう、まずその場で命をどう助けるかということを徹底して教える。

どの国もそうかもしれませんが、僕が思うに性教育とかに似ていて、自分たちが触れるものじゃないとか、それは勝手に分かるものでしょっていうようなやり方をすると、教育が不十分なままでは望まない妊娠が出てきて、その望まない妊娠の先に、例えば赤ちゃんを放置してしまったというようなことが起きる。社会制度の不備ではなくその人だけを罰するという社会的風潮がまずダメで、そうじゃなくてまず自分の体をどう守る、望まない妊娠をしない、そういった徹底した性教育の先にそういうものを減らすということとすごく似ている。薬物関連の問題も、皆見たくないとか蓋をしとけばいいとかいうことではなくて、命をどう守るかということをちゃんと教育する。それで問題使用を減らすということを、非犯罪化している国はやっています。

Q.恵まれた支援とはどんなもの?

【記者】風間さんはご自身が非常に恵まれた支援につながっているとおっしゃっていますが、どういった点が恵まれていて、逆にいうとどういうふうにつながれない難しさがあるかというところをお聞かせいただきたいと思います。

【風間】まず私から。丸山先生のおっしゃったCMの実体験をしておりまして、使って3日間ちょいかな、放置されまして、寝返りも打てないまま、救急車で運ばれずに友だちから放っとかれたんですね。その結果、坐骨神経を圧迫してしまって、当時左の足が麻痺して、身体障害者手帳5級だったかになってしまって、左足機能全廃という診断を受けた経験があるんですけれども、私はそこで初めて医療につながったんですね。

そのときも薬物を過剰摂取しておりまして、大麻ではない薬物をあらゆる種類を使っていたんですけれども、医療につながることができたというのがまず幸運だなと。でも当時私は「病気ぃ!?」って思ってたんですよ。別に私は使いたいから使ってるだけで、病気とか言われても知らねえよ!と思っていたんです。最初にそのとき担当してくださった先生と喧嘩して、病院を飛び出して、行かなくなるんですけど、でもやっぱりどこにも行けないんですよ。薬物使ってこんな姿になってしまったっていうセルフスティグマがあって、元の仲間のところに戻れない。居場所ないなと思ったときに、思い出したのが病院で教えてもらった自助グループってところなんですね。そこには同じような当事者の方々が回復をするために集っていて、そこで初めて薬物使ったってことを話しても大丈夫、私が虐待を受けて、苦しかったってことを言っても誰も否定しない、そんなの初めてだったんです。そこでの出会いが一番幸運だったなと思ってます。

そこで、分かち合いっていうんですけれども、分かち合いを重ねていくごとにやっぱり病院行こうかなとか、やっぱりもっとちゃんと治療に臨んでみようかなとか、そういうふうに思ったときに、もともと担当だったお医者さんとは喧嘩して飛び出したんですけれども、別の先生がいいよいいよって受け入れてくださったんですね。それがもうね、全てが何ていうか、恵まれてるなと。あのまま死んでしまうことの方が多分確率としては多かったと思うんですけれども、その後も私は医療や福祉に見捨てられることなく、そのまま今日に至るまで繋がり続けている。あのとき搬送されてラッキーだったなという感じですかね。以上です。

【田中】私も依存症問題に関わってるので、すごく風間さんの話に共感するんですけれども、先ほど斎藤先生がおっしゃったように、理解ある医師にあたるのがギャンブルみたいな国なんですね。だから風間さんが、支援者として依存症・薬物問題に本当に理解のあるお医者さんにファーストコンタクトで当たったっていうのが、何より幸運だったんじゃないかなと思います。

Q.大麻だけ使用罪がないのは整合性がとれない?

【記者】丸山先生にお聞きします。検討会の中で、「他の薬物に関しては使用罪があるのに対し、大麻だけは使用罪がないのはおかしいので整合性を取るべきだ」という賛成意見が出ているんですけれども、それに対して刑法の観点から、どのようにお考えですか。

【丸山】答えづらいというか、法律家としては失格な答えをしてしまうかもしれないんですけれども、整合性が取れないって…本当に言いそうですよね。少年法改正のときも似たような、全く立法事実がないまま言われてましたし、かといって飲酒が可能な年齢を18歳に下げてるわけでもなければ、裁判員裁判の参加に対しても20歳まで出られないようにしたままであって、整合性をとるためだという割には全然整合性をとってないままだなって思ったりするんです。そういう意味では、整合性とらなくていいんじゃないかなって、一番思っています。海外ではむしろ使用罪を置いてるっていう方が珍しいというか、珍しいまではちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、使用罪をそもそも置いてないところだってあるんです。そちらに整合性を合わせてもいい話ですし、末端使用者に対して刑罰を科して何とかするってこと自体も、諸外国では依存症は犯罪ではないので、依存症の問題は刑罰以外で何とかするっていうのがむしろスタンダードです。整合性をとるなら、むしろ使用罪を無くす方向で合わせることもあろうかと思います。使用罪を作ってしまうことで、強制採尿の問題が出てきますし、違法収集証拠につながる可能性もでてきますし、そういう問題をむしろ増やしてしまう。現場も困るはずです。

【田中】整合性というのは、法律を作りたい人がどういうところに整合性を持っていきたいかだと思うんですね。大麻っていうのは、アルコールと比べたら身体的な悪影響も社会的な悪影響もずっと少ないっていう世界的な研究が出ているのに、アルコールは合法になっているわけですから。そこからいったら、どういった意味でアルコールは合法で大麻は違法ってなっているのか、既に整合性がとれてない。それだけを近視眼的に見て、整合性が取れてないっていうのは、結論ありきの議論ではないかなと思っています。

Q.相談できない現状がある?

 【田中】他にご質問ってありますか。少し生島さんにもお願いしたいんですけど、やっぱりよく皆「相談できる環境」とか言うんですけれども、一番の問題は、逆境体験にある人が自分を恥じていて、なかなか相談できないというところにあるんじゃないかなと。さらにそこに刑罰というスティグマを強めることで、ますます相談できなくなるんじゃないかと。生島さんは、大規模な調査をされていますが、最初に心を開いてもらうってことって、なかなか難しいんじゃないかなと思って。そこで自分の話ができるまでって大変なことじゃないかな?と思うんですけれどどうでしょうか?

【生島】僕、当事者に近い位置にいる組織の者だと思いますけれども、僕もそうですし、他の支援者も同じこと言いますけれども、当事者が薬物を使用しているということを知るきっかけっていうのが、警察に逮捕されたときなんですね。逮捕されたときに、例えば弁護士さんから接見に来てほしいという伝言を受け取るときなんです。
だから、それぐらい当事者にとっては自己肯定感が低いっていうのはあるんでしょうけど、「このことを話してはまずいんじゃないか」というスティグマがすごく強いんです。僕らからしたら、その人の健康とか精神とか命の問題でもあって、すごく大切な話題だと思うんですけれども、「犯罪」ってなってしまったときに、丸山先生がおっしゃったように機能不全、思考停止になっちゃうと思うんです。また話せない人が増えてしまうんじゃないか、というところをすごく懸念します。

【田中】ありがとうございました。他にご質問ないでしょうか? よろしいでしょうか? 皆さん本日はありがとうございました。

(以上)